幼少期から学生時代
3歳の時、母が仕事で使っていたピアノを見て、
「なんか面白そう!」という感じで始めていたようです。
そして、公立の小中学校へ通いました。
人に慣れるまで時間がかかりがちなので、
一見だけ!はおとなしめに見られがちでした。
が、学級委員や応援団、全校合唱のピアノ伴奏を務めたりもしたので、
やっぱりおとなしくはないです(笑)
学校といえばやっぱり部活動ですよね?!
吹奏楽部には6年間所属して、ホルンを吹いていました。
地味なパートですが、縁の下の力持ち的な役割に、
この頃からやりがいを感じていました。
高校も吹奏楽部がやりたくて、敢えて強豪校(公立)に入りましたが、
女の子同志特有のものに悩まされてしまいました。
毎日、胃薬常備なくらい体調不良で、
学業と部活どころではなかったです。
「高校だけは卒業しないと」
その想いと、沢山の気遣いをしてくれたクラスメイトのお陰で、
何とか卒業までこぎ着けました。
その後、一般大学へは進学せず、大原簿記法律専門学校へ進学しました。
パソコン実務、情報処理、簿記を学びました。
新卒社員時代
風通りが良くてアットホームとは真逆で、とにかく厳しい社風でした。
役職までしっかりつけてお呼びする(間違えたら叱責される)、
電話は1コール以内で取る、離席時間をチェックされるなどなど。
また、新入りいじめ、女性同士の派閥。私も経験しました。
時には抗議をした事もありましたし、
舐められないように見た目から強く見せていました。
トイレへ駆け込んで泣いて、
ふと顔を上げた時に鏡に映った顔が、
元々のタレ目が三角になっていた事を覚えています。
「そんなに辛いなら辞めればいいじゃん」
と同期の女性に言われた事もありました。
が、長時間の外科手術後で弱った体に鞭を打って、
昼夜を問わない過酷な仕事をしている父のことを思うと、
今辞める訳にはいかなかったのです。
「これ以上、程度の低い人たちにやられてたまるか!負けてたまるか!」
と、一生懸命毎日つっぱっていました。
仕事の面では、主に教えてくださる上司が、
辛抱強く(至らない点ばかりの新卒の私への指導は大変だったと思う)、
きめ細やかで熱心な方でした。
部長は税理士免許をお持ちなくらい優秀で、
色々が厳格ながらも、送別会の時に、
「ユッコさんは個性的なキャラクターで誤解をされやすかったけど、
仕事はすごくできた」と言われたくらい評価をして下さいました。
辛いことも沢山あったけれど、
色々な業務をどんどん任せて頂けた点は本当によかったです。
適職につけたのかな?と、当時は思っていました。
その後の会社員時代
初めの会社は3年頑張り、他社を経験しました。
1社目で色々と鍛えられてきたので、多少しんどい事があっても、
「前の会社よりいい」と思え、乗り越えられました。
また、社員旅行で部署別対抗の出し物をやったことがきっかけで、
部署問わず、皆さんとの距離が一気に縮まりました。
プライベートでも沢山交流させて頂き、
職場の人間関係に対するネガティブなイメージも
だんだんなくなりました。
また、その頃には余裕が出てきたので、
アマチュアオーケストラで活動を始めていました。
ヴァイオリンよりちょっと大きいヴィオラに挑戦しました。
ヴィオラも地味なパートですが、
やっぱり縁の下の力持ちはいい!
その他、ヴィオラの個人レッスン、
英会話のグループレッスンにも通っていました。
教えて頂いた当時の先生から、
「あなたは自分の事業を立ち上げて働く方が向いてると思う。」
と何度も言われたことを覚えています。
1社目で色々と鍛えられてきたので、多少しんどい事があっても、
「前の会社よりいい」と思え、乗り越えられました。
また、社員旅行で部署別対抗の出し物をやったことがきっかけで、
部署問わず、皆さんとの距離が一気に縮まりました。
プライベートでも沢山交流させて頂き、
職場の人間関係に対するネガティブなイメージも
だんだんなくなりました。
また、その頃には余裕が出てきたので、
アマチュアオーケストラで活動を始めていました。
ヴァイオリンよりちょっと大きいヴィオラに挑戦しました。
ヴィオラも地味なパートですが、
やっぱり縁の下の力持ちはいい!
その他、ヴィオラの個人レッスン、
英会話のグループレッスンにも通っていました。
教えて頂いた当時の先生から、
「あなたは自分の事業を立ち上げて働く方が向いてると思う。」
と何度も言われたことを覚えています。
人生最大(?)の危機の始まり
*このあたりは写真があまりないので、これ以下、イメージ画像になります。
30代半ば。何となく今後のキャリアプランに対して、疑問を感じ始めました。80年生きるとして今、半分近く。
何だか人生が見えてきた(勝手に思い込んでいた)ような感覚だけど、
本当にこのままでいいのだろうかと。
この年代だと、老いに伴う身体の変化が出やすいですよね。
整形外科系の疾患を発症してしまいました。
病院を受診し、原因と対処はわかったのが不幸中の幸いでした。
日常生活でできることを取り入れながら、
薬物療法、理学療法、民間療法と試しましたが、回復の兆しが全く見えません。
どん底の数年間
県外までも治療院を渡り歩きました。
カイロプラクティック、整体、鍼灸・・・。
けっこうな数でした。
見通しが立たない中、不安ばかりが強くなっていきます。
この疾患が原因で、同時期に色々なものを全て失ってしまいました。
特に、辛い時、寂しい時、
一番の心の支えだった楽器演奏から
離れざるを得なかった事は、とてもダメージが大きかったです。
音楽以外に取り柄がない私は、
何を支えにこれから生きていけばいいのだろう。
と、絶望的な心境でした。
メンタルが下がり続けていると、
自律神経まで失調してしまいます。
SNSやテレビから、みんな楽しく過ごしているように見えてしまう。
自分だけが取り残された気分。
イタズラに時間だけが過ぎていく中、
どうすればこの状態から脱却できるか。
ただただ、自室にこもって号泣していました。
あるYouTubeチャンネルに出会い、自分自身が一変
ある日、何となくYouTubeを見ていたら、
私自身を大きく変えるきっかけとなったチャンネルに出会ったのです。
私よりずっと過酷なご環境で、何度もどん底を経験した方が、
ご自身を変えられ、たとえ状況自体は変わらなくても、
毎日充実して過ごされている、というものでした。
心に染みる話は沢山ありますが、
「辛い方も、そうでない方も、選んでいるのはあなた」
「いつまでもドン底でいるとやばい理由」
「本当にどうかは、本人にしかわからない」
が、特に響いたと同時に、反省もさせられました。
こんなに至ってシンプルな事なのに、
いつまでも同じことをグルグル考え、引きずってしまう。
今の私がこうなのは、昔あった何々が原因かもしれない。
この世の中が、あの人が・・・。
客観的に物事を見る努力さえできず、
ネガティブ感情を引きずり続けていたからです。
自分の情けなさ、弱さに真っ向から向き合い、
チャンネルで仰っていることを中心に取り組んだ結果、
体調もぐんと良くなりました。
チャンスが訪れる
毎日に清々しさを感じられるようになりました。
そして2020年。コロナ渦により、リモートワークが広がると同時に、
起業をする方も増えましたよね。
そこで、若い頃、独立起業を薦められたことを思い出したんです。
当時の私は、「起業っていってもなにで?」でしたが、
本気で考えてみるように。
身内の事があり、出社しての勤務は難しいので、
条件が在宅であることは必須。
在宅なら、せっかく良くなった整形外科系の疾患がぶり返さないように、
自由に環境設定もできる。
小さな光が見えた瞬間でした。
Webデザインとの出会い
せっかくの機会なので、手に職がつくきちんとした仕事でキャリアチェンジしよう。
その思いが強くなりました。
そんな時、偶然書店で手に取ったPhotoshopの本、
デザインスクールのネット広告でWebデザインという仕事を知りました。
若い頃、趣味のことを書いたブログを運営していて、
ブログ全体の配色とアバターを変えたり、
元々Webサイト自体に触れている機会はありました。
プロを目指してWebデザインを勉強するのでしたら、
趣味でしかないブログ運営の時よりも10倍以上難しいし、
苦労するのを十分覚悟しました。
思い立った時が吉!
Webデザイナーでの在宅起業を目指して、早速勉強を始めました。
メルカリで資金を作り、プログラミングスクールへ。
デザインそのものは、現役プロのフィードバックが必須だと思うし、
コーディングは、本の半分くらいでわからなくなりました(大汗)。
職業訓練認定校であるデイトラのWebデザインコースと
Web制作コースを受講開始!
企業と仕事ができるレベルを目指すので、
生やさしいものではなかったのですが、
ランディングページ、ホームページは、
メンターさんに丁寧なフィードバックを受けられ、何とか中級は卒業。
Web制作コースは評判通りとても難しかったです。
何度も嫌になりました。
以前の私だったら感情を爆発させて、
机をバンと叩いていたかもしれない。
声も荒げていたかもしれない。
WORDPRESSやShopifyのような
テンプレートのあるものの一部をCSSで調整したりなど、
HTMLを含め、制作会社様レベルの難しいものでなければ、
読み書きができるようになりました。
持ち前の負けず嫌いな面を
良い方に活かしたことが功を奏したのを実感しました。
また、新しい仕事に挑戦すること、起業することに対して、
周囲からも色々言われましたが、私は私の人生。
学習を始めてからもう少しで3年間。
ブレることは全くありませんでした。
20年間続けたピアノ、大原簿記学校時代などで培った継続力で、
葬儀参列の日も休むことなく、
お客様に喜んで頂けるものをご提供できるよう、
地道にコツコツと研鑽を積んでいます。
最後に、私の想い
どんなに辛くても、自分より弱い立場の人に当たらなかったこと、
常に自分の考えを持って生きてきた事を誇りに思います。
そして何より、沢山の方に支えられてきた事も改めて感じると同時に、
感謝の想いでいっぱいです。
感謝の言葉を伝える事ができていない方が少なくないのが、本当に悔やまれます。
皆さんそれぞれのご環境でいくつもの困難を乗り越え、
色々な想いを抱えられながら、今日この日を生きていらっしゃると思います。
ひかれたレールの上を何となく歩くのではなく、
ご自身で考え、ご自身の道を一生懸命歩まれている方を、同じ人として尊敬します。
Webデザインを通して、お客様にとって最高の、縁の下の力持ちになりたい、
私のデザインを見て、お客様の元にいらっしゃった方との素敵な出会いをご提供したいです。
若い頃はすぐに熱血していたけど、もう余計な力はいらない。
真っ直ぐな想いで、心の灯火を、静かに燃やしながら・・・。
2024年晩秋 おかめ企画 いしだゆうこ